牛の塔建設物語 



長崎県小値賀町役場前の県道を診療所で右に折れて海岸沿をしばらく歩くとやがて船瀬の浜の入り江の突堤に、まるでフランス西海岸にあるモン・サン=ミセエルの小形版を連想させる石造りの小さな建物が見へてくる。これが町指定の文化財「牛の塔」である。
自然の岩礁に石垣を施し其の上に砂岩の板石で四方を囲み屋根も同板石で葺いた堅牢な祠である。

通称、島民はこの祠を「牛の塔」と呼んでいるが、本来の牛の塔はこの祠の中に立っている自然石で、地上一、六メートル幅最長三十センチ、厚さ二十センチの細長い石の表面に文字を刻み、頭部に注連縄が巻かれているのが『牛の塔』本体である。
この石碑の中央の上に梵字の釈迦が刻まれ、その下に奉納妙法蓮華経、右に大願主地頭肥前守源定、左に建武元年(一三三四年)甲戌九月□日と銘文を微かに読見取ることができる。
(この梵字刻印の石塔は中世の特徴で因みにこの梵字は「キリ-ク」と呼ばれ阿弥陀三尊の意味だそうである。)

(日にちに数字は入っていないがこれはおそらく彼岸二十三日のことであろう、外にもこの様な例があるからと小値賀町学芸員塚原先生は話している)

この石碑の正式名称は「大乗妙典碑」だそうである。
その名の由来はこの塔の地下に小石一つ一つに、経文を書いた一字一石経が六万九千三百八十四個埋納しているからだそうである。

此処、この「牛の塔」を祀るに至った経緯については、後日稿を改めて詳しく話すつもりなので掻い摘んで話すと、
小値賀島はその昔、両島に分かれていたがこの二島の海峡を建武元年(1334)に松浦家第15代肥前守源定公が埋め立て新田造田工事を行った。この工事は人柱伝説を生むほどの難工事で、その時埋立の為の使役牛が沢山犠牲になったので、定公はそれを悼み悲しんで供養塔を建立したのが由来である。

そして完成した水田は19ヘクタ-ル(17町歩)もあり、当時小値賀島は前浜島近浦(前方近浦)の低湿地および笛吹に僅かばか
りの弥生時代からの稲作田しかなかったので、この新田開発で島民は多いに潤い、郷土の大恩人、定公への尊敬の念は益々深くなっていったのである。
                                                                       牛の塔
この祠が現在のような石囲いの建物が出来るまでに、源定公が建立した、島唯一の古跡「牛の塔」が自然風化して年々傷んでいく姿にに島民は嘆き悲しみ、なんとか防護策を施こして保存し、後世に遺さなければならないといろいろと試み、何度も屋根付きの石囲を施したが、海から吹き上がる荒波や風雨は容赦なく石垣や屋根を直撃し、その度に崩れ落ちて長持ちしなかった。

明治四十五年、当時の前笛吹村、村長梶野英盛氏は現職時代から長年このことに憂い嘆き、保存方法の素案を考へ、屋根も外壁も石造りの堅牢の屋代を思い立ったが、今度は資金面で目途が立たず長いこと着工出来ずにいたが、この牛の塔を祭った当の本人の「源の定公」に贈位(ぞう)(じゅう)三位(さんみ)があり、その奉告祭に子孫に当たる当時東京在住の伯爵で貴族議員であった平戸松浦家の三十八代当主、厚公が平戸に下向されることを新聞で知り、これを千載一遇の好機だと捉えて厚公に贈位を記念して資金援助をお願いしてみようと、梶野氏を始め当時の笛吹村の村長や代表者達が請願書を持参して平戸に出向したのだったが厚公は一足違いで東京にお帰りになった後であった。




                                              



寛永元年(1848) 牛の塔

船瀬牛の塔界隈


上の絵図は江戸時代、寛永元年(一八四八)小値賀郡代から平戸に指し出された「牛の塔」図とその周辺図であるがこれを見るとと石積みの上に供養塔塔だけが立っているだけである

               それでは本題の「牛ノ塔」修繕工事に纏わる話をして見ます

下記の和綴じの帳面は、当時の笛吹村役場が「牛ノ塔修繕に関する必要書類」を綴った貴重な記録簿ですが教育委員会より御借りしたものです。
深くお礼を申しあげます。

この帳面の表題は「牛の塔修繕に関する」とありますが上の絵図を描いた1848年頃には祠はなく剥き出しの供養塔だけが建っており、この絵図から36年後の1912年の当該工事では新築とならず修繕となっているがこの事は絵図とこの修繕工事設計図(下記)の青写真と比較して見ると岩礁の形が少し違っていて前より広くなり、今では石垣の間から小松も生えているので、この36年間の間に土や石を入れて基礎部を広く、頑丈にして祠を建てたが風雨や陳腐化で壊れかけたので基礎部を又補強し、前の祠の建築資材を再利用した個所もあるので新築と書かずに修善としたのではないだろいうか。

この記録簿に順じて話を進めます

                     「松浦厚公」に平戸へ出向いてお願いに行った時の状況の手紙


『今般先祖 源定公御贈位有之御奉告祭の為御下向相成候旨新聞上にて拝承し実は幸の御下向を機として我等共村民総として別紙請願書携帯出仕候処閣下には御用済の上既に御出立御帰京被遊候趣拝承誠に以て遺憾千萬奉存候乍恐御無礼を不顧別紙請願書奉提仕候祭 御直披の上特別之御恩恵を以て何卒 御聴許被下置度奉歎願候 誠惶誠懽謹言』       
                  

  明治四拾五年三月弐拾五日        浦家館(鶴ヶ峰)1890年竣工現松浦史料博物館   
 北松浦郡笛吹村村民総代
   梶野英盛
 同郡笛吹村長
  中山彦四郎  
従三位松浦伯爵閣下




簡単に訳すると

平戸松浦厚公の先祖に当たる「源の定公」に贈位死後に位階を贈ること)があり、その奉告祭(神に告げる)の為平戸にお帰りになった事を新聞で知ったので、これは又とない機会と捉えて我々村民の総代として別紙の請願書を持って平戸まで出向きましたが閣下はすでに御用を済まして東京に御帰りになられた後でした。誠に残念でした。
この上は恐れながら、ご無礼も顧みず別紙の請願書を提出いたしますのでどうか特別の恩恵を以ってお聴き許しくださいますようお願いいたします。」
う内容であろうがこの手紙の日付が3月25日で贈位は明治45年2月26日に従三位が贈られているので、贈位後すぐに平戸にお帰りなり、3月の中旬頃までには東京にお戻りになられたのであろう。




       次に請願書の内容を見てみると

      請  願  書

一 金参百円也  御下賜金請願高
右小値賀島笛吹村中村郷字船瀬濱に存立致し候牛之塔は今を去る五百有余年前建武年間御祖先 源定公御建設の碑にて本嶋唯一の古蹟に候も是迠不完全之牆壁(しょうへき)かきと かべ)を施し候のみにて風潮に(さら)され遂に碑面の摩滅せを憂い久しく其の保存方を講し候へ共本村は方今学校増築或は築港等にて民費増加し村民の負担軽からざる為荏苒(じんぜん)はかどらず、物事が延びのびになることを表わす)今日に及び尚ほ施行致し兼候処今般 御祖先定公御贈位の儀有之島民一同乍恐俽喜之情に耐へす之の機を記念として前記の金負御下賜被成下候に於いは別紙設計書及び予算書之通工事を施し一は永く保存の途に適し一は壮巌にして不敬の輩勿らしめ 御祖先の餘徳を永遠に伝え度存し候條何卒特別の御詮議を以て本願御採用被成下度御聴許の上は直に工事に着手し御下賜金は該工事竣工の上拝受可仕覚悟に御座候間この段伏て奉願候也

   明治四拾五年三月二二日    

                長崎県北松浦郡笛吹村

                  村民総代  尼崎忠兵衛

                  同県同郡同村

                  同上    小田傳冶兵衛

                  同県同郡同村

                  同上    梶野英盛

                  同県同郡笛吹村村長

                        中山彦四郎

    従三位松浦伯爵閣下

    簡単に訳してみると

船瀬の浜に存立する牛の塔は、今から五百有余年前の建武年間に御先祖の源定公が建設した碑で、島内唯一の古跡である為碑が傷まないように垣根や壁で覆ったりしていろいろと試みたが、長年の風潮に曝されて遂に碑面が摩滅してしまいました。これを憂い長持ちするような保存方法考えましたが、当村は現在学校の増築、築港等で民費が増加して村民の負担が多い中、今日に至まで修復出来ない状態ですがこの度、御先祖定公御贈位の儀がありましたので島民一同恐れながら大喜びしております。
これを記念として前記の金額を御下賜くださいますよう別紙の設計書、予算書同封いたします。工事が完成した後は永久保存して島民が敬い先祖の功績、徳を後世に伝へて行きますので何卒特別の配慮を持って御採用して頂きますようお願いします。お聴き届け頂きましたら直ちに工事に着手し、御下賜金は工事竣工後に頂くこととしておりまのでよろしくお願いします
   と言う内容であろう。

予    算    書

収  入
一 金五百五拾円也      収入金
     内   訳
 金三百円         御下賜金 
   金五拾円       笛吹村寄付請願予定
   金参拾円       前方村寄付請願予定
   金弐拾円       柳 村寄付請願予定
   金百五拾円       個 人寄付請願予定
   〆
    支  出
一 金五百五拾円       支出金
     内   訳       
  金四百八拾七円弐拾壱銭五厘    工事費
  金六拾弐円七拾八銭五厘      竣工式費用



 上記予算書を貸借表とグラフで見てみると

予 算 書

   収     入  金 額(銭)   支     出   金 額(銭)
   (内    訳)     ( 内    訳)  
 御下賜金    300.000    総  工  費    487.215 
 笛吹村寄付請願予定      50.000   竣工費(その他雑費)     62.785
 前方村寄付請願予定     30.000    
 柳村寄付請願予定     20.000    
 有志寄付予定    150.000    
   合     計    550.000   合    計     550.000





これによると収入金の55パ-セントが厚公からの下賜で有志者からの寄付金と合わせると82パ-セントとなる。
残金を旧三村に割当てて郷民に寄付を募る計画であった。




次に工事の内容を工事別に分けて見てみる


 笛吹村那賀村郷牛ノ塔圍壁改築通路、階段、鉄柵新設工事計書

                             一金四百八拾七円弐拾壱銭五厘              総工費

        内

                           金百参拾七円60四銭              通路長 参拾六間  巾 壱間  高 満潮以上壱尺五寸)工費

  内    訳

  材      料    

 

寸  法

 

 員  数

単 価

 金 額

   適        要

 

(尺寸分)

尺寸分

尺寸分

 

円銭厘

円銭厘

 

 通路工費

 

 

 

 

 

137.640

 

 野  面  石

扣へ弐尺 面 弐拾五石

     面

三十九坪六合

1.500

59.400

両側築造用 五分は在来使用

 栗     石

 大  小

 

     立

八坪

2.000

16.000

中込み用 五分は在来使用

 玉 砂 利  

径壱寸八分

 

     立

壱坪八合

1.800

3.240

通路面 敷き均し用 厚五勺

 石     工  

 

 

 

四〇人

0.800

32.000

石垣築造用

 人     足

 

 

 

六〇人

0.450

27.000

石工手伝古石運搬床堀砂利敷共

 

 

 

 

 

 

 

 


    金九拾九円五拾八銭五厘                  階段鉄柵工費

  内    訳

  材      料    

 

寸 法

 

 員  数

単  価

 金 額

  適        要

 

(尺寸分)

尺寸分

尺寸分

 

円銭厘

円銭厘

 

階段及鉄柵工費

 

 

 

 

 

99.585

 

 石  工  職

 

 

 

三人

0.800

2.400

障得石切取り用

 野  面  石

扣へ壱尺 面 弐拾五石

     面

四坪

 

 

詰所石垣築石用在来石使用

 栗     石

 

 

     立

壱坪弐合

 

 

中込み用裏込用在来使用

小値賀産又同等以上切石

参尺

0.95

0.60

2〇本

1.020

20.400

段石用

 上    仝

参尺以上

0.85

0.60

七間五分

1.850

13.875

左右登り縁石用

 上    仝

切石参尺

0.60

0.60

六本

0.755

4.530

鉄柵親柱用

 上    仝

.5寸 以上

0.60

0.60

三間二分

1.300

4.160

鉄柵台石用

 セメントモルタル

セメント壱 砂弐の割合

 

 七切

0.600

4.200

鉄柵台石親柱階段目塗用

 玉  砂  利

径六分以上

 

 

立 7勺五才

0.040

0.220

上段敷き均し用厚三勺

 石     工  

 

 

弐拾参人

0.800

18.400

切石彫刻据付及石垣築共

 人     足

 

 

 

弐拾人

0.450

9.000

石工手伝へ及セメント目塗り用

 鉄    柵

高弐尺五寸

図面之通り

 

三間二合

7.000

22.400

帯鉄巾1.2寸厚3分丸鉄径5分

 

 

 

 

 

 

 

 


      金弐百四拾九円九拾9銭                  塔圍壁切石積み巻上げ工費

   内   訳

  材      料    

 

寸 法

 

 員  数

単 価

 金 額

  適        要

 

(尺寸分)

尺寸分

尺寸分

 

円銭厘

円銭厘

 

塔圍壁切石積工費

 

 

 

 

 

249.990

 

小値賀産又同等以上切石

二尺 以上

0.80

0.75

参拾七間八合

2.200

83.160

四方袖石基礎石後壁拾壱段用

 上    仝切石

二尺 以上

0.85

0.75

弐拾参間

2.250

51.750

巻上げ石用

 上    仝切石

二尺以上

1.00

0.85

一間五合

3.060

4.590

巻上げ止め拱石用

 上    仝切石

三尺五寸

1.00

0.70

弐本

1.470

2.940

仝足留め用2段分

 上    仝切石

三尺六寸

1.20

0.80

弐本

2.070

4.140

出入口蹴放石左右柱用

 上    仝切石

一尺二寸

0.80

0.70

拾七本

0.390

6.630

上仝槓巻き上げ用

 割    石

扣壱尺五寸

面参拾石

    面

 弐坪

 

 

左右外部石垣用古石使用

 天川コンクリ-ト

生石芭灰参粘土参玉砂利六ノ割合立

 参合

1.500

4.500

右裏込用

 セ メ ン ト

七斗入

 

 

弐樽

4.500

9.000

切石積合端敷きこみ厚壱合五勺

 砂

七斗入

 

 

四樽

0.200

0.800

仝調合用

五島産板石

三尺五寸

1.00

0.20

拾四枚

0.220

3.080

内部敷詰め用

 石    工   

 

 

 

六拾人

0.800

48.000

彫刻仕上迄石垣築造内部張石共

 人    足

 

 

 

五拾人

0.450

22.500

古石取崩石工手伝目塗塔立直共

 センタ-材

松材、松板、鍄、洋釘 共

 

 

 

5.000

使用中損料古材にてもよし

 大   工

 

 

 

四人

0.750

3.000

センタ-組立一式

 人   足

 

 

 

弐人

0.450

0.900

大工手伝へ用

 

 

 

 

 

 

 

 

    右   
      明治四拾五年弐月拾九日
                         中野袈裟六



各工事の合計金額を表とグラフにして見ると

  各   工   事   金 額 (銭)
  通  路  工  事      137.640
  階 段 及 鉄 柵 工 事        88.585
  塔 圍 壁 切 石 工 事      249.990
   合      計      487.215







次に工事仕様書と設計図を見てみます。

工 事 仕 様 書  

一 通路 長参拾六間 高 満潮以上壱尺五寸 巾 一間
      仕  様
両側石垣は野面石扣の弐尺以上面弐拾五石のものを使用地盤は岩石に達するまで堀り浚へ根石据え付け合端噛み合せより築き立て天石には最も大なるものを撰用し満潮以上壱尺五寸高低なき様仕上げ裏込石は目隙なき様丁寧に詰め込み通路面は玉砂利径壱寸五分以下のものを厚参寸平均に敷き均し仕上げるものとす尤も之に使用する石材は在来の通路を取崩し使用し不足は他より運搬使用するものとす
 階段  幅参尺 踏み面九寸 蹴上げ六寸    弐拾段、左右登り縁石付

 鉄柵 高弐尺五寸 延長参間弐合 親柱及台石付
      仕  様
 
階段障得の岩石は諸所切り取り凹低のヶ所は指定の通り古石を以て石垣を築造し小値賀産又は仝等以上の切石 高九寸五分 幅六寸の段石斧切り仕上げ出入高低なく据え重ね両縁登り石仝石 高八寸 幅六寸のもの斧切り仕上げ通りより据付け飼ひ堅め段石縁石共「セメントモルタール」にて目塗りをなすものとす
鉄柵は親柱前仝石長三尺五寸 六寸角四方斧切鉄柵取付けの穴を彫り頭は方錐に切り立て根元は台石の抐に嵌め込み立て込み仝台座仝石六寸角上端櫛型に切り立て柱当たりは抐付け据え堅め「セメントモルタール」にて目塗りなすものとす

鉄柵は帯鉄 巾一寸二分 厚三分 丸鉄径 五分のものを以って高さ弐尺五寸と図面に俲ひ仕拵へ両端は石に指し込み鉛又は硫黄止めとして取り付けたる上「コールタル」塗りとし仝鉄柵内平地には径六分以下の玉砂利を厚参勺通り敷き均すものとす
一 塔圍壁兼屋形 内法7尺方 高内法七尺 袖石積及外部石垣付
      仕  様
圍壁厚さは八寸五分とし小値賀産又は仝等以上の石材を以って図面と俲ひ割合せ合端及び内部は小鑿切外部は江戸切に仕上げ 内法七尺方 高内法七尺と図の如く積み立て合端は総て「セメント」流し「トロ」を施し入念目塗りをなすべし出入口は幅五尺四寸高内法六尺弐寸に図面因て仕拵へ四方の袖口は高七寸二分のもの八段基礎石と接続する様図面に俲ひ積み立て合端は前仝「セメント」敷きとし目塗り致し左右外部とは在来石をを以って丁寧に袖石と仝高に石垣を築き立て裏込み及合端等は「天川コンクリート」充分搗き込み出来の上外部より「セメント」にて目塗りを施すものとす内部は塔を建て直したる后五島板石斧切りのもの敷き詰め「セメント」にて目塗りをなすものとす
右 



 設  計  図


  正面図



側面図




このように上記書類を送付したが当時の平戸松浦の家扶「神保雄蔵氏」から明治四十五年四月八日付の手紙に
「東京宅へ書類を送り裁可を仰いだところ設計について熱心にご意見を述べられ設計をもう一度やり直してはとの事でした。」
と返事があり。
そこで再度設計、見積書をやり直して今度は下賜金を参百円から半額の百五十円にして再度願書を今度は松浦伯爵でなく松浦伯爵御令扶殿宛てに四月十七日付けで出している。

再    願    書
本年三月二二日付け以て笛吹村中村郷字船瀬濱に存立する牛之塔修繕費御下賜金請願書に対し種々御気付之(かど)之候に付別紙之通設計書豫纂書等変更の上再び書類奉提仕候実は当時該工事着手の好時期に付け願く特別の御詮議を以って速に御聴許相成候様御執成被下置度此段再仕候也
    明治四拾五年四月十七日

           北松浦郡笛吹村

              村民総代  尼崎忠兵衛

              同郡同村

              仝上    小田傳冶兵衛

              同郡同村

              仝上    梶野英盛

              同郡笛吹村村長

              代理助役  川村直太郎 

    松浦伯爵御令扶殿


   予  算  書

収  入

一 金参百五拾円也      収入金

     内   訳

 

  金百五拾円          御下賜金 

   金五拾円       笛吹村寄付請願予定

   金参拾円       前方村寄付請願予定

   金弐拾円       柳 村寄付請願予定

   金百五拾円       個 人寄付請願予定

   〆

    支  出

一 金参五百五拾円         支出金

     内   訳       

  金参百拾円九拾四銭 工事費  総工事費

     但別紙設計書之通

  金参拾九円六銭   竣工式費用

    但竣工式費其他欠ぐべからざる必要の諸雑費予定

これを貸借表にしてみると下記のようになる

   収     入  金 額(銭)   支     出   金 額(銭)
   (内    訳)     ( 内    訳)  
 御下賜金     150.000   総  工  費       310.940
 笛吹村寄付請願予定       50.000   竣工費(その他雑費)        39.060
 前方村寄付請願予定      30.000    
 柳村寄付請願予定      20.000    
 有志寄付予定     100.000    
   合     計     350.000   合    計      350.000 

下賜金が当初の計画より半額の150円となり有志の寄付金も150円から100円と減額されているが他の寄付金は当初の寄付金額と同額であ

収入金をグラフにすると



支出を見てみる


工事明細を表にまとめてみた



笛吹村那賀村郷牛ノ塔圍壁、外貮廉改築通路改修工事設


     一金参百拾円九拾参銭                 総工費

         内
      金七拾五円九拾参銭                 圍壁工費

     内 訳

  材      料    

 

寸   法

 

 員  数

単価

 金 額

   適        要

 

(尺寸分)

尺寸分

尺寸分

 

円銭厘

円銭厘

 

塔圍壁工事工費

 

 

 

 

 

75.930

 

 五 島 産 切 石   

2.50

0.72

0.80

16

0.400

6.400

正面左右袖石垣

 仝      上     

6.00

0.80

0.90

2

1.800

3.600

正面出入口柱石用

 仝      上     

3.60

0.60

1.00

2

0.500

1.000

出入口地覆石用

 仝      上     

3.00

0.72

1.00

5間2分

1.150

5.980

側面背面垣上縁石用

 野  面  石

扣へ壱尺以上

 面 八寸以上

 

7坪6合6勺

在来古石使用

 

圍壁両面石垣築石用

 天川コンクリ-ト

生石灰、参.・粘土、参・玉砂利、六

之割合

7坪 7号5勺

15.000

11.250

仝石垣裏込胴詰メ用

 セ メ ン ト

七斗入

 

 

2樽

4.500

9.000

石垣目塗用 

 砂

七斗入

 

 

5樽

0.100

0.500

仝用

 石  工  職

 

 

 

30人

0.800

24.000

切石彫刻積み立て壁石垣築造用

 左  官  職

 

 

 

 2人

0.800

1.600

石垣目塗用

 人     足

 

 

 

28人

0.450

12.600

石工左官手伝用

 

 

 

 

 

 

 

 


     金四拾九円弐拾壱銭                  屋形工費

   内   訳

  材      料    

 

寸  法

 

 員  数

単 価

 金 額

  適        要

 

(尺寸分)

尺寸分

尺寸分

 

円銭厘

円銭厘

 

 屋 形 工 費

 

 

 

 

 

49.210

 

 五島産切石

長図面朱照

0.80

1.00

延長2間3分

1.200

2.760

正面出入口積み上げ用

 仝      上

長図面朱照

0.80

1.00

延長3間7分

1.200

4.440

背面妻積み上げ用

 仝      上

長七尺五寸

0.80

0.90

 1本

2.500

2.500

棟受石用

 仝      上

長六尺五寸

1.05

0.55

22本

1.250

27.500

屋形張石用

 仝      上

長4尺一寸

0.60

0.70

 3本

0.500

1.500

棟覆石

 セ メ ン ト

 

 

 

 2斗

0.700

1.400

切石積下敷き合端、塗り込み目塗

 砂

 

 

 

 5斗

0.160

0.080

仝調合用

 玉  砂  利

径五分以上

 

 

立 7勺

0.040

0.280

塔周囲敷付け用

 石  工  職

 

 

 

7人

0.800

5.600

彫刻より仕上げ迄

 人     足

 

 

 

7人

0.450

3.150

石工手伝へ及目塗り用

 

 

 

 

 

 

 

 


    金四拾八円壱拾六銭                  階段及足留工費
    

   内    訳

  材      料    

 

寸 法

 

 員  数

単 価

 金 額

  適        要

 

長(尺寸分)

尺寸分

尺寸分

 

円銭厘

円銭厘

 

階段及足留工費

 

 

 

 

 

48.160

 

野  面  石

扣へ壱尺五寸

 

面弐拾五石

面 4坪

在来古石

使用

諸所石垣石用

栗    石

径五寸以上

 

 

立 壱坪弐合 

在来古石

使用

中込み裏込用 厚平均3合

 五 島 産 切 石

長参尺

0.95

0.60

2拾本 

0.400

8.000

段石用

 五 島 産 切 石

長参尺以上

0.85

0.60

7間5分

0.780

5.850

左右登り縁石用

 五 島 産 切 石

長弐尺

0.70

0.70

6本

0.250

1.500

上段足留め親柱用

 五 島 産 切 石

長弐尺五寸

0.60

0.60

 延長6間8分

0.600

4.080

仝足留め用2段分

 セ メ ン ト

 

 

 

4斗

0.700

2.800

石材下敷及び目塗り用

 砂

 

 

 

1石

0.016

0.160

仝調合用

 玉 砂 利

径五分以上

 

 

立 5勺5才

 

0.220

足留め内敷き均し用 厚3

 石    工   職

 

 

 

3人5分

0.800

2.800

障得岩切 彫用火薬代共

 石    工   職

 

 

 

20人

0.800

16.000

石材彫刻据付迄

 人    足

 

 

 

15人

0.450

6.750

石工手伝い及びセメント塗迄

 

 

 

 

 

 

 

 


    金壱百参拾七円六拾四銭               通路工費

   内    訳

  材      料    

 

寸 法

 

 員  数

単 価

 金 額

  適        要

 

(尺寸分)

尺寸分

尺寸分

 

円銭厘

円銭厘

 

 通路工費

 

 

 

 

 

137.640

 

 野  面  石

扣へ弐尺以上面弐拾五石以上

面参拾9坪6合

1.500

59.400

両側築石用 外五分は古石使用

 栗    石

 大  小

 

 

立 8坪

2.000

16.000

中込み用 外五分は古石使用

 玉 砂 利

径一寸五分以上

 

 

1坪8合

1.800

3.240

通路面敷き均し用 厚五勺

 石    工   職

 

 

 

40人

0.800

32.000

石垣築造用

 人    足

 

 

60人

0.450

27.000

石工手伝及古石運搬、床堀、砂利敷き共

 総 工 費

 

 

 

 

 

310.940

 

 

 

 

 

 

 

 

 




各工事の合計金額を表とグラフにして見ると

  各  工  事

 金  額(銭)

 圍     

75.930

   屋 形 工 費

49.210

 階段及足留工費

48.160

 通 路 工 費

137.640

 合   計

310.940







工 事 仕 様 書

一 塔圍壁 内法七尺方正面出入口左右袖石積 内部石垣高六尺側背面は石垣築

                 仕  様

出入口は高 内法五尺七寸 幅内法五尺四寸とし使用の切石は総て五島産堅質のものを撰用すべく 柱石八寸、九寸地覆石六寸、一尺壁石垣上縁石七寸二分、一尺 何れも見え掛掛りけ合端共斧切仕上げセメントモルタ―ルにて据え付け合端は丁寧に目塗りを施すべく袖石七寸二分、八寸合端小鑿切見え掛りは江戸切とし前仝モルータルにて積み立て化粧目地塗りなすものとす

 側面背面は在来古石を以って両面共摘當の石を撰用し天川コンクリ―トを尻飼胴飼とし出入なき様築き上げ石継ぎ目は総て前仝モルタ―ルを以って内外共化粧目塗りをなすものとす。
内部塔の周囲は玉砂利径五分以下のものを厚五勺敷き均すものとす。
一 屋 形 両妻切石積み上げ 屋根板石張りセメント塗

        仕  様

石材は前仝質のもの両妻は八寸、壱尺図面の通り長さ切り揃へ見え掛り合端共斧切仕上げ棟受け石當りは具合能く掘り取り前仝モルタールにて積み立て目塗り前仝に施し棟受石八寸、九寸上端勾配に切り取り両端は堅固に架渡し仝屋根石長六尺五寸頭、立水と拝み合わせ上下小鑿切り致し軒先は縁石と踏み止めしめ幅八寸以上に割合せ合端は間隙なき様切合わせ雨水の漏らざる様セメントして目塗り致し仝上棟押へ石六寸、七寸、上端両小返りに切り取り下端屋根石と馴染みをり操り取りモルタール敷き付け置き渡すものとす
 階段幅参尺 踏み面九寸 蹴上げ六寸 貳拾段左右登り縁石付
一 上段足留め 高壱尺弐寸 延長三間八合


仕   様

階段と障得の岩石諸所切り取り凹低の指定の通り古岩を以って石垣を築造し石材は前仝質のもの段石九寸五分、六寸登り縁石八寸五分、六寸見掛り合端共総斧切に仕上げ出入高低なく据え付け入念飼ひ堅めセメントモルタ―ルにて叮寧に目塗りをなすものとす
上段足留めは前仝石親柱は七寸角頭方錐に切四方は斧切り根元(ほぞ)け建て固め足留め石は六寸角弐段と重ね上段石は上端両小返り又は櫛形と切り斧切り仕上げ前仝モルタ―ルにて積み重ね親柱取付けは枘入れとしセメントにて塗り仕上げ仝内部には玉砂利径五分以下のもの厚三勺通り敷き均すものとす
一 通路 長参拾六間 高 満潮時以上壱尺五寸 幅 壱間

仕   様

両側石垣は野面石扣へ貮尺以上面弐拾五石掛り以上のを使用地盤は岩石迄堀り浚へ根石据え付け合端噛み合わせより築き立て天石には最も大なるものを撰用し出入高低なき様仕上げ裏込石は目隙き少なき様詰め込み通路面は玉砂利の径壱寸五分以上のものを厚参寸平均敷き均し仕上げるものとす但し之を使用する石材は在来の通路を取り崩し使用し不足は他より運搬使用するものとす
 右



設  計  図

正 面 図



側面図






現在の「牛の塔」と各工事内容

正面(階段及足留工事)              天井(屋形工事)


内部、塔の後方(天川コンク-リ-ト)            参道(道路工事)


外壁(圍     



それでは当初の予算と採用した予算の資材・工賃の差異

当初計画

 費     目   金  額  割  合
 野  面  石 59.4 12.18
 栗     石 16 3.3
 玉 砂 利   3.46 0.7
小値賀産切石 196.175 40
五島産板石 3.08 0.63
天川コンクリ-ト 4.5 0.92
セメント 13.2 2.7
0.8 0.16
 鉄    柵 22.4 4.6
 センタ-材 5 1.26
 石     工   100.8 20.7
 大     工 3 0.6
 人     足 59.4 12
 合     計 487.215 100


           



採用計画

 費     目  金   額  割  合
五島産切石 75.11 24
野面石 59.4 19
栗石 16 5
玉砂利 3.74 1
0.74 0.3
セメント 13.2 4.2
天川コンクリ-ト 11.25 3.6
石  工 48.4 16
左  官 33.6 10.9
人  足 49.5 16
合    計 310.94 100
            



当初の設計と採用された設計では屋根型の構造がまったく違い、当初では塔圍壁切石工事、即ちド-ム形工法なので小値賀切石と石工賃の費用が総工費の60%を占めるているが、採用された工法は切妻造りで、しかも五島産の切石を使用したので建設費も石工賃も含めて総工費の40%となり、その分安くなっているが、最初の設計通りに施行されていたならば、当時と しては珍しい西洋風のモダンなド-ム形屋根の「牛の塔」が船瀬の浜に出現して、今以上に小値賀名所となり、国、県指定の文化財・建造物になったかもしれない。




牛ノ塔修繕工事費報告書       

                                大正元年12月

収 入 の 部

 予 算

金額(銭)

支 出 の 部

 予算

 諸口

金額(銭)

支払先

  内    訳

 

 

  内    訳

 

 

 

 牛塔修繕寄付人名

 

 

請負工事費

310.940

 

242,500

中野

従三位伯爵松浦厚公

150.000 

150,000

碑石四本代 但台石共

 

 

52,000

 

 笛  吹  村

 50.000

40,000

地下石四本外

 

23,500

 

中野

合資会社小値賀鮑集所

20,000

五島石三本外

 

28,500

 

川崎

笛吹郷在部

 

10,000

碑銘刻請負賃

 

 

30,000

中野

小値賀魚市場

 

10,000

祭典費

 

 

3,000

 

新町漁業団

 

8,000

残工事費

 

 

1,000

中野

九十九銀行小値賀支店

 

5,000

角力費 但中村郷請負

 

 

54,000

小値賀沃度合資会社

 

5,000

祭典来客賄費

 39.060

 

25,150

小田傳治兵衛

 

5,000

雑費

 

 

22,850

 

小西常蔵

 

5,000

    内     訳

 

 

 

 

大浦郷

 

4,000

工事設計謝儀

 

2,000

 

梶野

小西八百吉

 

4,000

梶野英盛氏工事に関して

 

 

 

 

大島郷

 

3,000

松浦家へ出頭汽船賃其他

 

3,910

 

梶野

藪呂木郷

 

3,000

工事願書数人東京発平戸

 

 

 

 

黒島郷

 

3,000

船送費

 

440

 

梶野

有志寄付者 3.000×24名

100.000

72,000

平戸へ電信料

 

200

 

梶野

前方村

 30.000

14,000

中折50枚他

 

125

 

梶野

相津觸

 

7,000

寄付金人名書料

 

1,000

 

松浪

後目觸

 

7,000

御下賜御書を謄写料

 

1,500

 

山崎

牛渡觸

 

4,500

寄付金取立賃

 

1,000

 

中原

前目觸

 

4,500

修繕工事協議の為三村長

 

 

 

 

唐見崎

 

3,000

其他集合のおり酒代

 

1,000

 

小澤

柳村

 

18,000

掛札用松板壱枚外

 

250

 

梶野

松本甚吾

 

5,000

糯米代六升代

 

1,650

 

尼忠分店

柳郷

 20.000

3,000

手数料小田様

 

50

 

 

濱津郷

 

3,000

手拭六反代

 

2,400

 

尼忠本店

柳村士族社

 

3,000

写真代

 

2,500

 

 

柳村青年会

 

3,000

石運送賃

 

400

 

田口廻漕

樽料

 

8,500

マキ浅

 

100

 

 

 

 

 

セメント代

 

500

 

 

中村郷人夫 350人

 

 

儀式に関する人夫其他雑費

 

3,375

 

 

 

 

 

残 高

 

450

 

 

 

 

 

 

 

22,850

 

 

総収入合計

350.000

430,500

総支出合計

350.000

 

430,500

 

右之通り収入支出相違いなき候也
    大正元年12月11日
       中山彦四郎
       小田傳治衛
       尼崎忠兵衛
       梶野英盛

 収入の寄付金が小値賀全域から予算額より二割以上も集まっているが、いかに当時の島民が定公を親しみと尊敬の念を持ち、牛の塔の再建を待望していた     かがわかる。起工式の費用も相撲興行等して盛大に行われて賑やかな式典であったようだ。


それではこの「牛の塔」を現在建設した場合どれぐらいの金額になるのか工事費報告書を元に試算して見ました。

明治末期と今日とはもちろん貨幣価値が違うので正確な計算はできませんが、当時の有志の寄付金や大工賃から比較して今日の相場や世評から考えると明治の貨幣金額を2万倍したら、今の貨幣価値に近ずくのではないかと思いそれで試算してみました。
正確ではありませんがが大まかな数字を掴めるのではないかと思います。


         現代版牛ノ塔修繕工事費報告書       
                                平成21年10月

収入の部

支出の部

 諸  口

 

  内    訳

 

  内    訳

 

 支払先

 牛塔修繕寄付人名

 

請負工事費

 

4.850.000

中野

従三位伯爵松浦厚公

3.000.000

碑石四本代 但台石共

 

1.040.000

 

 笛  吹  村

800.000

地下石四本外

470.000

 

中野

合資会社小値賀鮑集所

400.000

五島石三本外

570.000

 

川崎

笛吹郷在部

200.000

碑銘刻請負賃

 

600.000

中野

小値賀魚市場

200.000

祭典費

 

60.000

 

新町漁業団

160.000

残工事費

 

20.00

中野

九十九銀行小値賀支店

 100.000

角力費 但中村郷請負

 

1.080.000

小値賀沃度合資会社

100.000

祭典来客賄費

 

503.000

小田傳治兵衛

100.000

雑費

 

457.000

 

小西常蔵

100.000

    内     訳

 

 

 

大浦郷

80.000

工事設計謝儀

40.000

 

梶野

小西八百吉

80.000

梶野英盛氏工事に関して

 

 

 

大島郷

6.0000

松浦家へ出頭汽船賃其他

78.200

 

梶野

藪呂木郷

60.000

工事願書数人東京発平戸

 

 

 

黒島郷

60000

船送費

8800

 

梶野

有志寄付者 60.000×24名

1.440.000

平戸へ電信料

4.000

 

梶野

前方村

280.000

中折50枚他

2.500

 

梶野

相津觸

140.000

寄付金人名書料

20.000

 

松浪

後目觸

140.000

御下賜御書を謄写料

30.000

 

山崎

牛渡觸

90.000

寄付金取立賃

20.000

 

中原

前目觸

90.000

修繕工事協議の為三村長

 

 

 

唐見崎

60.000

其他集合のおり酒代

20.000

 

小澤

柳村

360.000

掛札用松板壱枚外

5000

 

梶野

松本甚吾

100.000

糯米代六升代

33.000

 

尼忠分店

柳郷

60.000

手数料小田様

10000

 

 

濱津郷

60.000

手拭六反代

48.000

 

尼忠本店

柳村士族社

60.000

写真代

50.000

 

 

柳村青年会

60.000

石運送賃

8.000

 

田口廻漕

樽料

170.000

マキ残

2.000

 

 

 

 

セメント代

10.000

 

 

中村郷人夫 350人

 

儀式に関する人夫其他雑費

67.500

 

 

 

 

 

 

 

 

 

457.000

 

 

総収入合計

8.610.000

総支出合計

 

8.610.000

 


となりますが、今日では調達不可能な切り石等もあるので、明治時代と同等の建物は建設不可能でしょう。
当初の設計では、階段や囲壁工事の中で小値賀産又は同等切り石となっているが、やり直しの設計では五島産の切り石を仕様となっている。
設計が当初とまったく違うので、小値賀産と五島産の切り石の単価の違いを正確に把握できないが、上記のそれぞれの仕様単価から判断すると五島産は小値賀産の半値以下となっている。

普通に考えて小値賀と五島では地形の成り立ちが違い、五島は至る所に砂岩が露出していて石の切出しも容易ですが、小値賀は火山島で本島では砂岩は産出されず、野崎島と西沖の平島、美良島、倉島、にはあるにはあるが、海岸から直ぐに岩がそそり立っており足場も悪く、又島内には波止場や道路もないので直接海岸に横着けして、荒波の中を切り出さなければいけないので大変危険な作業が伴うので、どこの岩場から切り出していたのか解らなかったが、先般、元通産業省工業技術院地質調査所主任研究松井和典先生に同行して小値賀島周辺の島々の火山噴火の見学と説明を拝聴した時、平島・美良島の場所で、「この砂岩は質が良く長崎市内の石畳に切り出されていた」と説明されたので、この場所付近から切り出す予定だったのだろう。



次は落成式の案内状である

拝  啓
明十日牛之塔保存修繕工事落成に付清秡式執行神酒差上度候條午前十時仝所へ御來拝被下度比段御案内申上候也但雨天の時は順延
    
 大正元年十二月九日
               中 山 彦 四 郎
               梶  野  英 


この時工事完成を記念して奉納相撲が行なわれている。
この牛の塔の奉納相撲では笛吹村中村郷が請け負いその諸費用が五拾四円掛かっている。


  廣     告

明日十日船瀬牛の塔修繕工事落成に付き清秡式執行後
同所に於いて角力(正午十二時)相営み
候条比段広告候也

大正元年十二月九日

     牛の塔修繕工事委員


落成式の案内は平戸の松浦家家扶「神保氏」にも送付してたが12月10日の日付で公務多忙で出席できない旨の返事がきていた。
12月20日に牛の塔工事費報告書と牛の塔の写真を平戸を通じて東京柳原の厚公宅に送っている。

松浦厚公(鸞洲)は当時、貴族議員の職にあったが、茶道石州流鎮信派の家元でもあり、又高名な漢詩人、書道家でもあったので、この「牛の塔」工事の記念として自ら詠んだ漢詩を書にして工事中の6月18日に送付していた


下の写真2枚が塔内に建てられている松浦厚公の揮毫の玉吟の碑である。
  


  玉吟碑
 


正面向かって左側に松浦厚公の下賜金の金額の碑と玉吟石碑があり、右側の石碑には町内の寄付者芳名が刻まれていのだろうが石質が砂岩の為剥離して判読できない。

   左側



                                右側

           計画から完成までの日程

明治45年02月19日         牛の塔設計図を中野氏作成て送付
明治45年02月26日         松浦定公従三位贈られる
明治45年03月22日         請願書・工事設計書等送付を厚公宛で送付
明治45年04月08日         再考の要請が伯爵御令扶より来る
明治45年04月17日         再度嘆願書・工事設計書等を伯爵御令扶宛で送付
明治45年06月01日         竣工式
明治45年06月18日         牛の塔記念碑碑銘及び楎毫送付
大正01年12月10日         起工式


この「牛の塔」建設に至った経緯から完成までの記録を当時の浄善寺住職が後世に遺すため詳細に書き遺しているので紹介する。

   牛 之 塔 保 存 記 録  (浄善寺記録(龍燈 4号39p~43p)

『笛吹村中村郷船瀬浜牛之元塔は旧藩主松浦家の祖先即ち南朝の忠臣地頭肥前守源定公の創建し給う所にて其の由来を遡ぬるに公當島の斥鹵(せきろ)を開拓し水田を作るや多々牛の力に頼る當時牛ノ之に(たお)るヽ者亦少からず公を悼み大乗妙蓮經一字一石を奉納し給える霊跡なり
されば藩政の頃は例年十二月初丑の日厳なる法莚を開き當寺累代其會事を奉行す然るに癈藩と共に比の厳儀癈し干古の芳躅(ほう-たく)世俗(ようや)く忘れんとす當寺幸に深縁の存するあり歴祖(あつ)く公の偉徳を仰慕し後世孫縁曰を記せず法饗を怠らんか冥罰(みょうばつ)空しからざるものなり遺誡(いかい)す故に法資克つ旨微なりと雖謝徳の至誠を致す(じゅ)(きょう)回向古例に則り(のっとり)今に怠ることなし
嗚呼公の義烈千載の下凛呼(りんこ)として輝き徳澤永く蒼生(そうせい)を潤す()なり後人其威霊を祀るや明治四十五年二月二十六日従三位を贈らる比の時に方り公の往時を追憶し欽仰(きんぎょう)の念轉切にして意を其遺跡牛之元塔に致すの有志少なしとせず外圍をすに石垣を以ってするも上蓋既に朽損んで風雨波浪の洒らすに任せ碑面消磨し記銘殆と読む能はざらしむるに頻す笛吹村梶野英盛君(つと)に之を慨歎(がいたん)し保存工事を企画の素思いあり比の好機に際會し意を決して當時笛吹村長中山彦四郎君及び小田傳治兵衛君尼崎忠兵君等に(まつ)りて画策(かくさく)し三村有志の賛同を得柳村長中松太郎君前方村近藤爲門君と共に發企人として工事を主官し明治四十五年六月一日工を起す(ここ)に至り旧藩主公は巨額の金員下賜し給いて比事業を助け給ひ島民亦進んで資財を寄す善願既に應あり堅窂(けんろう)して荘厳なる石造りの祠宇日を経てる大正元年十二月十日竣工の式をげ厳肅なる慶讃法要を勤修し奉れり而して中絶せる例年の典禮をも自今之を再興し船瀬の濱英風高く扇ぎ慈雲衆庶(しゅうしょ)普子(あまねく)からしむ噫呼(ああ)比願比行永劫に(さいわい)し事跡永く後人を(しょう)(かん)す不肖宿縁なる哉當寺を(ただ)し比の美擧あるに遭ひ感銘()く能はす是の記を作り工事の概要を記録し後昆に資す見ん者粗畧(そりゃく)の看をなすことなくば幸なり
   于時大正二年一月二十一日
   端午山浄善寺第三十世
         現住    盛 傳 誌

簡単に訳してみると。
笛吹中村郷船瀬の「牛の元塔」は旧藩主松浦家の祖先、即ち南朝の忠義の家臣,、地頭肥前守源定公が創建いたしました所であって、其の由来をたずねると公、当島の塩気を含んでいて作物のできない土地を開拓して水田を作た時、多くの牛の力に頼ったので当時牛が工事中たおれて死んだ牛も又少なくない。
公之を悼んで大乗妙連経一字一石を奉納し給へた霊の跡である。

それ故、藩政の頃は、例年十二月初丑の日はおごそかな法莚を開き、当寺代々其の行事を担当し執行してきた。しかし廃藩と共に、このおごそかな儀式も廃止され、この大昔からの尊い行事は世の中からしだいに忘れられかけたいたが、当寺は幸いにして公とは深い縁がある寺で先祖代々丁重に公の偉徳を仰ぎ慕い、後世の子孫がこの特別の縁があるこの供養を怠り、客をもてなして「牛の塔」まつることを怠ったなら神仏の罰がありますと教えさとして遺しておかれたので、それ故この法要の趣旨を受け継ぎ、儀礼が小規模になっても謝徳のまごころ持って声をあげて経を読み、回向をして昔の慣例に従い今でも怠ったことがない。

あぁ-公の義を守る心の堅いことは長い年月、りりしく勇ましく輝き、徳のめぐみは永く人々を潤しているところである。後世の人その威力ある神霊を祀っていたが、明治四十五年二月二十六日従三位贈られる。
この時にあたり公の往時を追憶し、仰ぎ慕いする思いが一層強くなり、其の思いが転じて心をこめて気持ちを遺跡「牛の塔」によせる志の人々が少なくなかった。

外囲いをするに石垣を以てするも、上蓋は朽損じてしまって風雨波浪が晒すに任せて、碑面は消磨し記銘殆ど読むことができなくなってきた。笛吹村梶野英盛君は早くからこれを憂い嘆き保存工事の企画の素案の考へがあり、此の好機に、たまたま出会ったことに決断して、当時笛吹村長中山彦四郎君及び小田傳治兵衛君、尼崎忠兵衛君などに相談し計画を立て、三村有志の賛同を得て、柳村長中松太郎君、前方村長近藤為門君と共に発起人として工事を主管し、明治四十五年六月一日に起工式した。

ここに至り旧藩主公は巨額の金額をくだし給いてこの事業を助け給い、島民も又進んで資財を寄進した。この島民の善い願は既にかない堅牢にして荘厳なる石造りの屋代が長い日数をかけて完成した。

大正元年十二月十日竣工の式を挙げ、厳粛なる慶讃法要が挙行された。そうして途中絶えていた例年の儀式もこの後これを再興、船瀬の浜の突堤にすぐれた徳風が高く舞い上がり、高貴な人、庶民に広くゆきわたっている。

あぁ-この願い、この行いが何時までも幸いし、この法要の後、永く後の世の人を見守ってくれるであろう。前世から因縁のある当寺を管理するものとして、この歴史的価値ある法要に遭遇し感銘せずにはいられずこの記録簿を作り工事の概要を記録し子孫の仲間の助けとなるようにする。
これを読む人ははおろそかに看ることがないようにしていただければ幸いです。
     という内容であろうか。

工 事 の 概 要

一 祠宇内宝碑の前両側に旧領主従伯爵三位伯爵松浦厚公の玉吟御揮毫及び寄付者の芳名、彫刻せし碑を立てて工事の記念とす

        旧領主公の玉吟

 
   
斜雁数行船瀬邊 秋空をながむれば雁が斜めに船瀬の上あたりを横切西の方帰っている  
 
   断碑一片倚秋天 牛の塔は秋天を仰いで立っている
   祖君遺徳迨禽獣 祖先定公が残した業績は動物までが知っている。
   牛塔長傳建武年 建武元年に出来たこの牛の塔を後世まで長く伝えたい。
  因に記す該御揮毫は梶野家に軸物として保存せらる。
一 該工事に要せし夫役は笛吹中村郷民の寄附に係る
一 慶讃式の餘興準備及び當日の夫役をも中村郷にて受負す
一 餘興には相撲を催し近年稀なる賑をなす

              一 該工事に係る諸費の収支左記決算書の如し


決   算  書

                      ※見やすいように貸借表に作り変へた 

収入の部

 金 額

 

支出の部

 金 額

  内    訳

円銭厘

  内    訳

円銭厘

 牛塔修繕寄付人名

 

請負工事費

242,500

従三位伯爵松浦厚公

150,000

碑石四本代 但台石共

50,000

 笛  吹  村

40,000

碑銘刻請負賃

30,000

合資会社小値賀鮑集所

20,000

慶讃式及び余興来客賄費

82,150

笛吹郷在部

10,000

雑費

22,850

小値賀魚市場

10,000

残工事費

1,000

新町漁業団

8,000

碑石五島石追加分

2,000

九十九銀行小値賀支店

5,000

 

 

小値賀沃度合資会社

5,000

 

 

小田傳治兵衛

5,000

 

 

小西常蔵

5,000

 

 

大浦郷

4,000

 

 

小西八百吉

4,000

 

 

大島郷

3,000

 

 

藪呂木郷

3,000

 

 

黒島郷

3,000

 

 

有志寄付者 3000×24名

72,000

 

 

前方村

14,000

 

 

相津觸

7,000

 

 

後目觸

7,000

 

 

牛渡觸

4,500

 

 

前目觸

4,500

 

 

唐見崎

3,000

 

 

柳村

18,000

 

 

松本甚吾

5,000

 

 

柳郷

3,000

 

 

濱津郷

3,000

 

 

柳村士族社

3,000

 

 

柳村青年会

3,000

 

 

樽料

8,500

 

 

 

 

 

 

中村郷人夫 350人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

総収入合計

430,500

総支出合計

430,500

    右
  収支決算書は発起人 梶野英盛君 中山彦四郎君 小田傳治兵衛君 尼崎忠兵衛君  名を以て報告あり  
以下が牛の塔保存記録の内容であるが貸借勘定で貸方の支出の方が3円不足するので原本の領収書関係を調べてみたら転記に誤りがあったようなので緑字で書き入れて合わせております。


浄善寺



昭和30年代牛の塔祭り


    平成21年牛の塔祭り

 










以上で「牛の塔修繕」の話は終わりですが
現在、牛の塔は献堂以来、早100年が経過しているがその間、牛の塔界隈は道路拡張、海岸線の開発、船瀬港の拡張工事、海流の変化による周辺海岸の砂の流失等、当時の風景とは様変わりしている。

牛の塔の祠も自然風化や海からの潮波、風雨に晒されて天井板石の接合面のセメントは剥がれて青空が見え、。天川コンク-リ-トは所々剥げ落ち、階段の砂岩の足留石は剥離して細り、参道のコンクリ-トの表面はジャリが露出していて、とこどころ陥没していて歩き難くくなっている。
今、改修工事をしなければこの状態が長く続くと寛永元年の絵図のようにな状態に後戻りするのではないかと危惧している。

厚公に請願書で下賜金をお願いした時、永久保存して定公の功績、徳を後世まで伝へると約束したからには小値賀島民としてそれを守っていかなければならない義務があるような気がしてならない。

現在、国の減反政策で二.三〇年前のように新田に家族総出の田植へや、黄金の稲穂が新田を覆い尽くす光景は見ることはできず。蘆や雑草が年々生茂り、六七〇年前、定公が新田開発をした当時の隆盛の面影はない、それと共に定公に対する大恩の気持ちも希薄となり今では、定公の名前や「牛の塔」の由縁さえ知らない島民も多くいる。
しかし時代や生活様式が変化がしても小値賀島民である限り「定公」や「牛の塔」は自分の御先祖様と同様、尊敬の念を忘れないでいただきたいものである。



温故知新ではありますが、戦前、「定公」を熱心に研究されて、その偉業を島民に啓蒙した人物がおられますので、その方の研究の一端をお披露目してこの話の結びとします。

町内県道笛吹前方線の中村と新田橋の中間付近地点、膳所城に右折れする丘の上に四方を石垣組んで一段と高くした場所に源定公頌徳(しょうとく)碑と深く彫られた自然石の細長い大きな石が建っている。
その横に加工された石に定公の功績を称えた碑が並んで立っている。この頌徳碑は元々番岳の頂上にあった忠魂碑を現在の大きいのに建て替えた(昭和十五年)のでリサイクル利用したものだが、それでもかなり大きい頌徳碑である。

この徳碑を建てるのに当たり当時の小値賀町の初代町長川口恵吉郎が町民に定公の功績と啓蒙運動の経過などを纏めた。
「松浦定公を偲ぶ」(A5判ガリバン刷りで7枚綴り)の冊子があるので内容を紹介してみます。
因みに川口町長は昭和十四年から五代目の小値賀村長になっているが昭和十八年小値賀が村から町に変更になり初代小値賀町長となる。)



     松浦定公を偲ぶ

 

公は旧平戸藩主松浦家の祖となり建武の中興に勤皇の旗挙げをなし各地に転戦偉功を奏し地頭肥前守に任じられた。里では建武元年小値賀に水田を開き牛の塔を建てられた事が公の正史に残る。公の晩年は消息(つまび)かならずとあり、薨去(こうきょ)の時さえ不明となっている

公は明治十三年平戸亀岡神社に合祀され同四十五年従三位に贈位された。之は建武の忠臣として松浦家に於いて申請された事は勿論である。

建武の中興は成りたるも尊氏の背反(はいはん)に官軍振はず天皇は幽せられ世は尊氏の専横時代となり各地の諸将尊氏の傘下に走るもの多かりきしに(ちょう)(手をさっとあげて打ちかかる)らず。公は断じて節を(かえ)せず
逆臣尊氏の禄を食まず。地頭肥前守の栄職を惜しげもなく振り捨てた。晩年の公は
(ひそ)かに領土小値賀島に隠遁(いんとん)世事をのがれて隠れること)して再挙の機運を狙いながら只管(ひたすら)郷土の開発に専念されたものと断定する事が出来る。

公は郷土に孤忠(ただ一人つくす忠義)を(